文芸同人誌「絵合せ」は、地域文化の発展と向上に貢献することを目的とし、年に3回発行します。発行月は、2月、6月、10月とします。
日常の身近な出来事を題材にして、日常を描きとる力、五感を想像させるすっきりした文章、常に研鑚の場である文芸誌でありたい、そういう思いで発行に至りました。
本誌には、小説、随筆、詩、短歌、俳句、などを掲載しています。講評いただけると幸いです。
ご購読ご希望の方は下記までお問い合わせください。
文芸同人誌「絵合せ」
発行月は、2月、6月、10月
定価500円(本体455円×10%)
送料200円
編集発行人:後藤克之
発行所:〒819-0042
福岡県福岡市西区壱岐団地140―9
電話・FAX: 092(834)7871
メール:gotokatsu24@gmail.com
同人募集
詩・俳句・小説・随筆を寄稿頂ける方を随時募集します。寄稿は有料になります。ご希望の方は詳しい基準をご説明しますのでご連絡ください。
年間購読ご案内
年間3号発行予定です。
年間購読なら少しお得になります。
送料含め2000円です。
どうぞお申込みください。
文芸同人誌「絵合せ」第9号目次
2024(令和6)年10月1日発行
巻頭言
書く価値___________後藤克之
詩
ジャンプ___________岬龍子
随筆
カラスという鳥________末次鎮衣
小説
鉤虫_____________波佐間義之
御室の宵闇__________笠置英昭
SUNNY ____________蓮実夏
雨の休日___________後藤克之
同人歴代掲載作品
書評報告
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第8号目次
2024(令和6)年6月1日発行
巻頭言
現在・過去・未来_______後藤克之
詩
ピンセット__________岬龍子
随筆
本当の父親__________末次鎮衣
小説
木匠さん___________波佐間義之
お静津の霊魂_________笠置英昭
あしたの風を聴く_______川崎彰
見えない斜面_________後藤克之
同人歴代掲載作品
書評報告
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第7号目次
2024(令和6)年2月1日発行
巻頭言
時に波を立てる________後藤克之
随筆
小さな幸せ__________末次鎮衣
コンニチハ、ノスタルジー___見良津珠里子
小説
その日の釣り人________波佐間義之
セラミックスの恋_______川埜邉慎二
あかかべ怨霊_________笠置英昭
私の記憶___________蓮実夏
男として___________後藤克之
同人歴代掲載作品
書評報告
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第6号目次
2023(令和5)年10月1日発行
巻頭言
続・小説の基本は短編である__後藤克之
随筆
なかにし礼さん追悼______桂一雄
小説
「どん底」という名のbar___野沢薫子
ままのたね__________岬龍子
遠い記憶___________川崎彰
挽歌ー長宗我部元親とその妻蘭_笠置英昭
水たまり___________後藤克之
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第5号目次
2023(令和5)年6月1日発行
巻頭言
小説の基本は短編である____後藤克之
詩
水位_____________岬龍子
随筆
「いのち見つめて」高知上映会の旅
____桂一雄
小説
蛍の友____________波佐間義之
憂国の烈士__________笠置英昭
やっちゃん、歌おうよ_____見良津珠里子
セラビィ___________蓮実夏
がらくた___________後藤克之
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第4号目次
2023(令和5)年2月1日発行
巻頭言
絵具の塗り具合________後藤克之
詩
自分流枕草子_________前野まつり
垢まみれの母子手帳______わらべ進
随筆
サヨナラ、ノスタルジー____見良津珠里子
小説
霧の彼方へ消えたひと_____波佐間義之
赤い傘____________桂一雄
雨の分かれ道_________後藤克之
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第3号目次
2022(令和4)年10月1日発行
巻頭言
きりとりと再現力_______後藤克之
小説
タスキ____________波佐間義之
新しいスニーカー_______蓮実夏
花の精霊たちの荘厳______見良津珠里子
逸脱_____________後藤克之
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第2号目次
2022(令和4)年6月1日発行
巻頭言
会話表現の考察________後藤克之
詩
あいきょうのあるあの子____わらべ進
知らないまちで________わらべ進
小説
独白、無伴奏_________見良津珠里子
あの夏の匂い_________後藤克之
彼の徒労___________後藤克之
随筆
故きを温ねて【時代の輪廻】__保津明
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
文芸同人誌「絵合せ」第1号目次
2022(令和4)年2月1日発行
巻頭挨拶
「絵合せ」について______後藤克之
詩
つらら____________前野まつり
小説
ゆかりの消しゴム_______前野まつり
モッテコ―イ_________後藤克之
よろこび___________後藤克之
随筆
故きを温ねて【俯瞰力】____保津明
編集後記・同人募集
表紙絵前野まつり
第9回文学フリマ福岡に出店しました!!
2023(令和5)年10月22日(日)11~16時、福岡市天神エルガーラホール8F。
多くの方にお会いできて、貴重な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
第8回文学フリマ福岡に出店しました!!
2022(令和4)年10月23日(日)11~16時、福岡市天神エルガーラホール8F。
多くの方にお会いできて、貴重な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
講評いただいた先生方、いつもありがとうございます。
〇「絵合せ」創刊について
(図書新聞3541号・同人誌時評・志村有弘様)
〇第1号掲載・後藤克之・小説「モッテコ―イ」
(季刊文科88号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第1号掲載・後藤克之・小説「モッテコ―イ」
(図書新聞3545号・同人誌時評・越田秀男様)
〇後藤克之・小説「がらくた」
(季刊文科88号掲載)
〇第2号掲載・後藤克之・小説「あの夏の匂い」
(季刊文科89号転載)
〇第2号掲載・後藤克之・小説「あの夏の匂い」
(季刊文科89号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第2号掲載・後藤克之・小説「あの夏の匂い」
(西日本新聞2022.7.29西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第2号掲載・後藤克之・小説「あの夏の匂い」
(季刊文科90号・同人雑誌季評・河中郁男様)
〇第3号掲載・後藤克之・小説「逸脱」準優秀作
(文芸思潮86号・全国同人雑誌評・五十嵐勉様)
〇第4号掲載・波佐間義之・小説「霧の彼方へ消えたひと」
(図書新聞3589号・同人誌時評・志村有弘様)
〇第5号掲載・後藤克之・小説「がらくた」
(西日本新聞2023.7.31西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第5号掲載・後藤克之・小説「がらくた」
(季刊文科93号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第5号掲載・波佐間義之・小説「螢の友」
(季刊文科94号・同人雑誌季評・河中郁男様)
〇第6号掲載・野沢薫子・小説「どん底という名のbar」
(西日本新聞2023.10.31西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第6号掲載・岬龍子・小説「ままのたね」
(図書新聞3616号・同人誌時評・越田秀男様)
〇第6号掲載・野沢薫子・小説「どん底という名のbar」
(文芸思潮90号・全国同人雑誌評・森村和子様)
〇第6号掲載・岬龍子・小説「ままのたね」
(文芸思潮90号・全国同人雑誌評・森村和子様)
〇第7号掲載・笠置英昭・小説「あかかべ怨霊」
(図書新聞3637号・同人誌時評・志村有弘様)
〇第8号掲載・波佐間義之・小説「木匠さん」
(図書新聞3650号・同人誌時評・志村有弘様)
※作品名のみ紹介
〇第3号掲載・波佐間義之・小説「タスキ」
(西日本新聞2022.11.30西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第3号掲載・後藤克之・小説「逸脱」
(季刊文科91号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第4号掲載・後藤克之・小説「雨の分かれ道」
(西日本新聞2023.4.28西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第4号掲載・後藤克之・小説「雨の分かれ道」
(季刊文科92号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第5号掲載・波佐間義之・小説「螢の友」
(西日本新聞2023.7.31西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第6号掲載・川崎彰・小説「遠い記憶」
(西日本新聞2023.10.31西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第6号掲載・桂一雄・随筆「なかにし礼さん追悼」
(図書新聞3624号・同人誌時評・志村有弘様)
〇第6号掲載・後藤克之・小説「水たまり」
(季刊文科95号・同人雑誌季評・谷村順一様)
〇第7号掲載・後藤克之・小説「男として」
(西日本新聞2024.3.29西日本文学展望・茶園梨加様)
〇第8号掲載・後藤克之・小説「見えない斜面」
(西日本新聞2024.8.1西日本文学展望・茶園梨加様)
女性の方(一部抜粋)
先日からご多忙な中お手間をおかけし申し訳ございませんでした。丁寧に梱包された御誌を手にしたとき、書店で普通に書籍を買う時とは違う高揚感を感じました。実は、私は社会人になってからは読書から遠ざかっておりました。家で小説を読むのは何十年ぶりでしょう。スマホを使って動画を見たり電子書籍になっている漫画を読むことばかりして過ごしていました。そのせいか、最初は読めませんでした。言葉が上滑りして自分の中に入ってこない。これはかなりショックでした。脳の老化というのもあるのかもしれませんが、昔のように言葉だけの世界に入っていけない。本当に入口で足踏みしている感じでした。やはり読書習慣って大事ですね。御誌を知りましたのは、前にもお伝えした通りネットでお見掛けしたのがきっかけです。端正で繊細な表紙絵に惹かれ、他の皆さまの書評も拝見し、買ってみようと決めました。とある作品を読んでいて「ここは筆者としては相当伝えたいものが書かれた場面だな」というのがものすごく伝わるのですが、表現方法のせいで全く伝わってこない、と何度も感じることがありました。「伝えたいことがある」ということはすごく伝わってきます。たぶん気のせいではない、間違いないと思います。でもその「伝えたいことそのもの」はうまく伝わってこないんです。ちょっと違う表現をすると、筆者と読者(である私)の間にどうしようもない乖離がある、と感じました。筆者の熱量は感じるしぜひその伝えたい事柄を受け取りたいのですが、どうしようもない距離というか、壁?膜?とにかく何かがあって自分には受け取れない。もどかしい限りです。乖離していると感じるかどうかも個人差があるはずなので、合う人にはピッタリ合うんでしょうね。結局相性の問題なのかもしれません。執筆者の方もおそらく何度も推敲のうえ、色々な悩み、苦しみを経て文章を生み出し、「これで伝わるはず」とご判断されたうえで作品を世に出しておられると思います。しかし結果的に読者側に伝わってこない。乖離しているのを埋める手段は言葉しかない。そしてどれだけ推敲を重ねても、読者を自分の世界へ誘うことが出来ないかもしれない。そう考えると「小説を書くって恐ろしく大変なことだ」という結論になってしまったわけです。所謂プロは伝えたいことをちゃんと伝えることが出来る、筆者と読者の乖離する確率が限りなく低い人と言い表すことが出来るのかな、とも思いました。ちなみに上記は後藤様の作品で感じたことではございません。別の方の作品である意味強い衝撃を受けたので、書かずにはおれませんでした。どの作品のことなのかは伏せます。ただ、その作品を通して「小説を書くことの難しさ」を思い知らされたのは確かなので、それをお伝えするために書きました。絵画も小説も、芸術の全ては自分の受容器に作者の表現がささるかどうかってことですよね、結局のところ。創作活動ってある意味地獄ですね。どう伝えるか、答えの無い答えを探し続ける地獄。しかし何か駆り立てられるものがあり、「書く価値」があるから、皆さんその地獄へ飛び込んでいくんですね。話は変わりまして・・・「雨の休日」は読み終えた時に優しい気持ちになれる作品でした。最終章で亜紀おばさんの話が由紀子に勇気を与えたという一文は、私的にはとてもしっくりきました。とりたてて言うほどの者でもない、市井の一人としてなんの変哲もない毎日を送っていても、皆それぞれ色々な感情を織り交ぜながら積み重ねてきた日々がある。生きているひとりひとりに地層の重なりのような日々があり、これからもそうやって生きていく。
亜紀という一人の女性の「寂しさとともに生きていく逞しさ」、それに触れた由紀子はいずれ同じような逞しさを身に着けるのだろうと予見しつつ、これを呼んだ自分も勇気をもらえる作品だと感じました。そして、なぜかわからないんですがスタインベックの『怒りの葡萄』に出てくる説教師ケーシーが到達した境地、「自分を受け入れてくれる人々と共に働き、皆の歌声を聴き、時には悪態をついたりもし、普通に生活していく。こういったこと全てが善きこと」というのを思い起こしました。御誌に触れることで、読書することの大事さを思い出させて頂きました。また昔のように読書を楽しめるようになれたらいいなと思っております。皆さまのご健筆をお祈り申し上げます。
女性の方
おはようございます。朝晩は寒いほど冷えますが、日中はまだ夏日がありそうですね。面白そうなので、第9号の掌編だけを読みました。 注目の『雨の休日』。これまでとテイストが異なって、女性ふたりの会話と独白で話が進みます。細やかなことば選びを好ましく思いましたが、以前に書かれた『モッテコーイ』に作風が似ているようにも感じました。読んでいて奇異に感じたことがあります。人称です。この話は、作者の目、主人公由紀子の目、伯母の亜紀の目の3者の目、で書かれています。第一章は作者の目でみた文章です。第二章では文章内の人称に混乱が発生しています。ひとつの文章に、作者と由紀子の目の両方が混ざった記述になります。作者の目は三人称ですが、突然、由紀子が一人称の私として出てきます。第三章は、伯母の亜紀の独白です。が、最後にまた、作者と由紀子の目の複数の目*による記述が現れます。第四章は、由紀子と作者の目の混在です。章ごとに人称を変える手法は最近の新しい小説手法でかなりあります。複数の登場人物がそれぞれの目である出来事を語る、といった手法ですね。もしそういう手法がとりたければ、作者、由紀子、亜紀の三人の目で書き分ける方法があるのかもしれません。小説の書き方はわかりませんが、作者の目(三人称)で書くのか、主人公の目(私)で書くのかが基本ではないですか。いわゆる「私(わたくし)小説」は、主人公が私(作者)となって書かれるものが多いでしょう。これを書いている限りは、プロの小説家になれない、三人称で書けないと小説家とはいえない、ともいわれます。こういった小説の手法、人称の書き分けの肝があるのではないでしょうか。ちなみに、他の掌編『鉤虫』『御室の宵闇』『SUNNY』などでは人称の混乱はないようです。
女性の方(一部抜粋)
「絵合せ」9 月25日に拝受いたしました。ご多忙の折ありがとうございました。「雨の休日」今までの作品の印象と違っていました。二十代と五十代の女性の心理が、よく表現されていると思いました。故郷とは、何度もスタートラインに立てる場所であり、幼き日の思い出の場所です。岡島家の家庭を揺るがしかねない、亜紀おばさん。実家とはいえ大きな態度に、岡島家はでんぐり返りそうな予感に、先が気になりました。しかし、由紀子と二人の会話に、初恋の思い出、妹である由紀子の母への嫉妬心など、大きな態度からは想像できない人でした。二人に共通しているのは、貢献した会社からの突然の解雇でした。コロナによる業績不振による解雇は、日本中で問題になりましたし、会社が生き残るためなら、優秀な社員でも首を切る。サラリーマンの宿命ですが、突然の雷が自分だけを狙い撃ちしているとは、亜紀おばさんの心情が響いてきました。すがるものがないから、故郷に戻るしかなかった。本心を隠して、大きな態度で暮らしていた亜紀おばさんに、同情しました。由紀子の両親はネクタイの色で喧嘩して、すぐ仲直りするけど、これからの由紀子と亜紀おばさんは、一時的な止まり木から、飛び立たなくてはならない。セクハラ問題がニュースになっても、独身女性が働く社会は難題が多い、専業主婦には理解できないだろう、とも感じました。「鉤虫」面白い❢やってくれました立花少年、臭いまで漂ってきました。
男性の方
「絵合せ」9号が発行されました。着実に一歩一歩前進しているって感じですね。年3回発行ですから3年を経過したことになります。
小説では「雨の休日」(後藤克之さん)がいいですね。読みながらふと丹羽文雄の作品を思い出しました。小生は丹羽文雄の「小説作法」からの出発で、丹羽文雄の文章をまる覚えしたことでしたので、その脈をすごく好意的に感じました。主人公は由紀子という独身の失職(クビ)した女性で、父母の他に叔母(母の姉)が同居しています。父母は知り合いの娘の結婚式に出ていて、由紀子は叔母(この人も失職して居候している)から父母のなれそめや自分との関係などを聞かされ、「がさつで図々しく鈍感とばかり思っていた叔母がまったく別の繊細で崩れやすい透明な存在なものに見えて」きて「叔母の歴史は由紀子のそれよりもはるかに重いもの」であったことを知らされる。そこに二人の新たな関係がうまれ、いつの間にか由紀子の鬱積が消えて晴れやかな気持ちになるという、その心理描写が繊細なタッチで描かれていて、これまでに感じなかった作者の才能を見せつけられたような気持ちになりました。好編です。きっと話題になることでしょう。全国同人雑誌「まほろば賞候補」にノミネートされても遜色ない作品だと思います。「SUNNY](蓮実夏さん)は若い方の作品でしょうね、新鮮な雰囲気は全体から感じますが、書き込み不足ですね。もっと深く人間を見つめることが要求されます。ドギツイい方をすれば、作者はもっと主人公を苛めなければ人間の内部は見えてきませんよね。そう、中途半端で終っていますよ。「だからどうした?」という疑問を解かなければ作品は成立しませんよね。おじさん(お母さんの愛人?)の正体が宙に浮いたままです。随筆の「カラスという鳥」は素直に面白かったです。なぜかカラスには人間いい印象は持ちませんよね。ですから、カラスを困らせた作品もあっていいと思いますがどうなんでしょう?
女性の方
そろそろ梅雨明けのようです。梅雨時は猛暑といっても真夏のそれに比べれば幾分楽ですから、これからのひと月が思いやられます。なにかと忙しく、ようやく第8号を拝読しました。いつものことですが、少し辛口になりますが、感じたこと、考えたことを書かせていただきます。小説は自由に、何をどのように書いてもよいと承知していますが、読み手はそれぞれの感性や知識で読みます。小説は人間を描くといわれますが、これほど難しいことはありません。例えば、自分自身を主人公にするならば、どのように描けるのだろうか。どのように描けば、私らしく描かれたといえるのだろうかと。生きている人間を描く上で、限りなく本当らしく描くには、生活する人間、社会的存在の人間、時代に生きる人間など、作者の生活感、社会性、時代性などの確かな認識が背景に必要だと思います。つまり、そういった認識の正確さが人物に、作品に、リアリティーをもたらすと思います。男女の愛憎を描くにしても、生活感、社会性、時代性の認識が必要だと思います。物語の舞台の生活、社会、時代などが正確にことばで表現されることですね。『見えない斜面』は、テーマ、題材、主張はわかりやすいものです。時代はおそらく大正末期から昭和初期ということが夫婦の会話からわかります。この舞台が東京なのか他の土地なのか、言葉からすると標準語ですから東京なのか。ただ夫婦間の会話で、妻が夫を「あなた」と呼ぶ習慣があったのかどうか、そのあたりが少し引っかかりました。当時のその土地の雰囲気が出ているのかどうか。『本当の父親』は父親の血液型をめぐる誤解が著者本人を長く悩ませ、
父親の病気によってその誤解が解けるものの後悔が残る。エッセイは著者の体験をもとに書かれる作品が多いのですが、小説と同様に、エッセイには短くてもきちんとした筋書きが必要です。「起承転結」とよく言われますが、山の部分は「転」です。「転」ではそれまでと異なった話が挿入されることが多く、読む者に?!と思わせる部分ともいわれます。この部分にフィクションを織り込むことも可能です。エッセイはフィクションありです。場合によっては、話を「転」でお終いにして、余韻を残すという方法もあります。『本当の父親』もこのことを念頭におくと、もう少し読み応えのある、味わい深い作品になったのではないでしょうか。『お静津の霊魂』は、会話体の女性言葉に違和感を覚えました。「…ですの」で終わる部分です。また、大分、国東ですから方言が会話に使われたのではないかとも思いました。
『あしたの風を聴く』は、いかにも幼く完成度の低い文章ですが、削ぎ落しや構成によってはもう少し締まった作品になるのではと思いました。意味のない改行が頻繁に行われることによって話の流れがプチプチと途切れます。また、何もかも書き込み過ぎていることがかえってわかりにくさと読みにくさを招いているようにも感じました。未完成なままで投稿された読後感です。やはり、多くの作品において、推敲が不十分に感じました。テーマ、題材、主張が鮮明でも、推敲が不十分な場合は完成度が低くなり、語彙、構成などの綻びが目立つものになります。できれば、投稿前に第三者に読んでいただき、指摘や感想を受けるのが良いのではないでしょうか。そういった意見を受け入れることによって作者らしさ、つまり文章のスタイル(文体)が損なわれることはないと思います。
女性の方(一部抜粋)
後藤さん、感想が大変遅くなってしまいました。巻頭言はやはり一番インパクトがあり、メッセージを発信するのにこれこそ、自分の文芸誌を持つ強みですよね。回を重ねるごとにメディアでも注目されていくと思います。今回の「現在・過去・未来」を電車で表現されたのは素晴らしい!なーるほど、と一瞬で理解、納得しました。その感受性が後藤さんの素質と思います。さて、作品の方ですが、末次さんの「本当の父親」は九文で合評しました。私も親の血液型に疑問があって似たような感情をもったことがあります。父はB、母はO、私はA型、あり得ない、と心配しましたが父がABと判明して一件落着でした。末次さんのお父さんの癌発症で、正確な血液型がわかって読者もほっとしました。認知症になっても娘の行く末を案じた優しいお父さんで読者も癒されます。羨ましい、、。「木匠さん」波佐間さん作品
九州文学の前身の雰囲気を知ることができて貴重な資料的小説ですね。木匠の裏に隠されたエロティックも、人間味が現われていて面白い。(若い時なら眉をしかめたかも)。劇中劇の「オザちゃん」の小説、遺影を後ろ向きにする所、いいですねぇ。最後の締めくくり方がさすがベテラン作家波佐間氏の手腕に魅せられました。「お静津の霊魂」笠置英昭氏 時代小説の作家は破綻がなくきっちり書き込んでありますね。人情豊に理不尽な出来事を緻密に表現、そこへ時間差を織り込んで悲恋な結末を用意しているところは読者サービスに徹していると思いました。一歩間違えば即命取りになってしまう、そんな時代が確かにあったんだと認識を新たにしました。(現代はまた別の意味で理不尽による命を失う現象が巷にあふれています、心痛みます)「あしたの風を聴く」川崎彰氏 最初の出だしからまるで昔の私を見ているようでした。父上が文学を愛したことがきっかけで文学に目覚めていった作者、これも羨ましい、と感じました。ついでに白状すれば、私の父は中途失明(40代)者で母は父の杖代わりに父を支えなくてはならなかったため、子どもの教育、躾その他、何も行っていません(と私は思い込んでいますが、そうでない部分もあったかもしれません)ともかく、父母から早く独立すること、故郷から一刻も遠ざかりたい事、などを思い起こしながら読みました。室生犀星に惹かれるのもそういうところに由来しています。図らずも小景異情が作中に出てきました。私は何度口ずさんだことか、いついかなる時でも瞬時に諳んじることができます。室生犀星は好きを超してもう、一体化したいほどの熱の入れようです。犀星の生い立ちは細部に渡り表現してありますが、これは日本文学全集(室生犀星編)からの引用と思われます。(そっくりそのままです)川崎氏はたぶん同年代かもしくは少し上、くらいの年齢かな?全般に流れる文學への憧憬時代感覚が共感します。「見えない斜面」後藤克之氏 今回の小説は日本の黎明期を思わせますね。夫婦の会話、親子(父親が子へ示す言葉)の会話などにそれが現われています。美しい日本の心の情景です。「男というものは」について後藤さんの確固たる信念があると思って読みました。「修身」に興味がある三太。三太はだれかモデルがいるのかな?幹のしっかりした、素朴だけど素晴らしい考えをもつ少年と見受けられます。軍隊についての母親の考えは保守的であったり、国の仰せを慮る派だったり大衆派として右へ倣え派だったりと、意見があって、自分ならどう思うかを考えてみました。私は息子を軍隊へやるのは絶対嫌、波ですがその時代に矢面になって言えたかどうかは疑問です。難しい問題を果敢にチャレンジされている後藤さんに敬服、です。P70の下段は圧巻で、特に最後の5行は心に響きました。これは作者の発言と思います。保次の苦悩、苛立ちが見事に綴られていました。現実に戻って、後藤さんはいつの時代の人?とふと錯誤に陥りました。以上、十分に言い表せませんでしたが、これで終わります。
女性の方(一部抜粋)
絵合せ第8号5月20日に届きました。毎回届くたびに、もう4か月経ったんだと、月日の流れを感じています。「見えない斜面」タイトルは、松本清張さんを思い出しました。昭和初期の時代、治安維持法成立後の市井の人々の戦争への思い、暮らしぶりが書かれていました。軍国主義、自由な思想への取り締まり、現在では考えられない世情が、主婦たちの井戸端会議、学校内では、保次と教頭との口論が繰り広げられていた。女性と男性の立場の違い、あの時代の女性の考え方は、現在では信じられないのですが、国の教育方針の影響だろうと納得しました。息子の三太は、最初読んだ時は養子なのかと思っていました。父親に対する言葉が丁寧すぎるから、それとも、あの当時は父親は尊敬されるものだったからでしょうか。60Pの上の行「あの日、あんなことがなければ~」運命?そこが気になりました。しかし、2.3回読むうちに、14歳の息子の年齢と母さんと出会って15年で、やっぱり実子だったと納得しました。見えない斜面とは、現在もそうではないのでしょうか。各国での戦争、まだ開戦はしていない国も、斜面に立ち様子を窺がっている。物足りなかったのは、井戸端会議の主婦たちの描写でした。時代劇の長屋の井戸端風でした。(ゴメンナサイ)「巻頭言」現在・過去・未来 そうですね、電車は一瞬で表現してみせる。縦は遠く、もう死んでいる人。今まで気づかなかったです。ご多忙なのに、頑張って期日を守り発行されておられる姿に、毎回感心しております。
男性の方
『絵合せ』第8号感想文
◆巻頭言『現在・過去・未来』
空間認識に時間認識が加わって四次元構造が完成しますね。電車で言えば〈駅〉。ピン留め。このピン留めを行うことで〈概念〉が生み出され、やがて書き言葉が誕生します。
◆詩『ピンセット』
〈もだもだ〉〈もやもや〉――言葉を失う元凶をピンセットでつまみ出せ! 体の深部にまで入り込んでいるので、乱暴に引っ張っても根が残ってしまう。丁寧に丁寧に引き釣りだせば腫れは治まります。ぶっ壊したり潰したりしても解決できない問題はこうして丁寧にやるしかない。
◆随筆『本当の父親』
血縁ってなんでしょうかね。皇族の議論も始まっているようですが。
◆小説『木匠さん』
特に風変わりな人とは思えない木匠さんが、波佐間さんにかかるとドラマになってしまうわけですね。ドラマというのはドラマチックでなければならない、なんて思うのは大間違い、ということですね。
◆小説『あしたの風を聞く』
青春期、母親の家から独り立ちの予行演習の時期、ということですか、その思い出。〝あしたの風〟をもう少し聞きたかった。
◆小説『見えない斜面』
全体主義というのは、封建制時代までの村落共同体に育まれた滅私奉公的世界と違って、ゲゼルシャフトもゲマインシャフトも関係なく、宗教団体からヤクザ世界まで無差別に浸透する初期資本制社会が生み出し、現在も去らない、反個人主義的な思想ですね。個と全体というのは、単純に対立関係で捉えるととんでもなく錯覚に陥る繊細な問題で、しっかりとその構造把握をしていかないといけない、重要課題でもあります。
男性の方
福岡市西区で発行されている「絵合せ」第8号が発売になりました。順調ですね。内容も同人誌にふさわしく充実していまます。
巻頭言:現在・過去・未来・・・後藤克之
詩:ピンセット・・・・・・・・岬龍子
随筆:本当の父親・・・・・・・末次鎮衣
小説:木匠さん・・・・・・・・波佐間義之
お静津の霊魂・・・・・・笠置英昭
あしたの風を聴く・・・・川崎彰
見えない斜面・・・・・・後藤克之
随筆「本当の父親」は簡潔で文章のキレがいいですね。このまま掌編小説としても十分読めます。小説「お静の霊魂」は郷土史を基にして物語を創作したものでしょうか、骨っぽい感じがすます。もう少し説明が欲しいですね。血肉が付くと読者を納得させる作品になったでしょうに。小説「あしたの風を聴く」は作品としてはイマイチですね。意識の流れ的な手法を取り入れたのかなと思って読んだのですが、文章にメリハリは必要ではないでしょうか? 枝葉を落として自分の描こうとする世界を浮き彫りにした方がよかったと思うのですが、どうでしょうね。平坦な道を淡々と歩いているような気がして作者は何を言いたかったのか、ぼやけてしまったまま、長編の一部みたいな気がしましたが、連作のつもりかな? 文章の力は感じられますので今後に期待します。小説「見えない斜面」は戦前のハナシでしょうか。田中義一とか石橋湛山とかの政治家の名前が出てきまして、タイムスリップしたような作品ですね。戦中戦後の作家の作品を読んでいるような気がしたのですが、考えて見れば今現在がそういう時代に逆走しているという人もいるし、そこを狙ったのかなとも思いながら読みました。作者の言わんとするところは十分に理解できましたが、もう一つ食い足りない気がします。説明不足な点と会話に頼り切っているところかな?詩「ピンセット」は医療現場で働いた人の作品でしょうか、言葉尻から金属に付着した薬品の匂いがしてくるような印象をもちました。人生って「やんごとなき物語」でしょうね。巻頭言「現在・過去・未来」は詩として読んでも面白いですね。流れ去った風景、目の前の風景、迫りくる風景・・・文学はまさに時間、空間の芸術ですね。本誌は年3回発行、年間購読者を募集しています。 税、送料込みで2,000円。同人も募集中です。発行所:電話・FAX 092(834)7871 (後藤克之)
女性の方(一部抜粋)
ご無沙汰しております。1月 31日に、第7号届きました。「男として」 このタイトルどこかで読んだ記憶が?2015年九州文學夏号に発表されていました。しかし、新鮮味がありました。採集生活を送る、流浪の民のぼくが主人公。いつの時代「奴等」?マンモスが暴れる時代。男として、母を守りたい、あの人への思い。「勇」を経験して、一人前の男への成長過程が活写されていました。情景描写がよかった。― 星が輝いては消え、消えては輝く、それを繰り返す度に心が透き通るような悲しい音が聞こえてくるようだ。夜の世界は何かを秘めている。 ―心が美しくないと書けない表現です。上げればきりがないほどの描写がいくつもありました。「巻頭言」時に波を立てる 時間を使いが下手な私。耳が痛いワイ。「その日の釣り人」波佐間義之さん。毎回思うこと、書き出しが上手いです。書き出しが上手くいったら波に乗れるのになかなか進まない時は、波佐間さんの作品を開いています。末次鎮衣先輩、お元気でよかった。「小さな幸せ」80前後の友人、知人が口をそろえて言います。花の世話、料理のおすそ分けが楽しく、今が一番幸せだと。彼女らしい、清潔感のある表現に癒されました。ご多忙なのに計画通りの出版、お疲れ様です。微力ですが応援しています。
女性の方
「絵合せ」第7号をありがとうございました。さっそく読ませていただきました。充実の7号です。まるで幼虫が蛹になり、そして7号で成虫に変態したかのようです。巻頭言からして今までとガラッとテイストが変わりました。驚きの巻頭言です。そして、まるでそれを実践したかのような小説『男として』です。これまでの後藤さんの文章とはまったく異質なものを感じました。自然描写、身体描写等々、非常に具体的かつ生き生きとしたことばが使われています。男の人生を比喩的に、デフォルメして描ききっていますが、いささか劇画的な印象があります。少しばかりの不満が残りました。また、激しくリアルなことばの中に、ヒョコっと日常語が出てくるところにも少々の違和感あり。でも、本当は、後藤さんはこのような文章が書きたかったのではないでしょうか。あるいは、これは一時の「大波」なのでしょうか。
このような実験的な創作姿勢が好ましいと思いました。成虫が成長し、成熟する姿を楽しみにしています。
男性の方
「男として」(後藤克之さん)は労作ですね。これを読みながら私は園山俊二という漫画家が描いていた「はじめ人間ギャートルズ」を思い出しました。氏はもう亡くなっているようですが、面白かったですよ。記憶がはっきりしないのですが、その時に自分たちのことを「わっちら」と言わせていたように思います。僕→わっち 父親がマンモスをぶった切って子供たち(わっちら)に食べさせる場面があったように覚えています。マンモス一匹仕留めればあの時代ですから一年間は遊んで暮らせますよね。あのマンガ、週刊誌に連載されていましたのでよく読んでいました。世知辛い世の中の一幅の清涼剤的な役割を果たしてくれていました。「男として」もそういう雰囲気があっていやされます。もう少し微細に「らしく」描かれたらもっともっと素晴らしい作品になって注目を集めるのではないでしょうか。
一人称・・・私・僕・我・自(自分)・吾・余・わっち・己・こち・おん(男性お場合)・めん(女性の場合)・臣(おんー偉い人の場合だが一般にも慣用)・上または下(位で表す)・某・手前・こちとら・・・・
男性の方
後藤克之さんの巻頭言はいつも頷かされますね。今号もそうです。時に波を立てることは必要なんだ、自身を刺激することによって進化するということでしょうね。
随筆「小さな幸せ」(末次鎮衣さん)を読んでそのイメージから「陽だまりや 幸せ囲む 冬の庭」という句を作りました。また「コンニチハ・ノスタルジー」(見良津珠里子さん)から「父の日の 耳に残れる 咳払い」 拙句ですけど、二人の随筆は小生の胸に影響を与えてくれました。
小説、「その日の釣り人」 荒れ狂った中学生が社会問題化していた頃を思い出しました。マスコミはいろんな社会問題の真実をもっと報道して欲しいですね。
小説 「セラミックスの恋」 初めての登場、面白いですね。大人の恋愛ですか、渡辺淳一の印象を受けますね。文章も滑らかで澱みがないですね。約束通り二人が一緒になれたらいいですね。男の妻との離婚の原因は何か? 女性の側から見たら少し不安もあります(笑)。
小説 「あかかべの怨霊」 城井城の鎮房が黒田長政に騙し打ちに遭い、家臣たちまでもが合元寺で黒田藩に皆殺しされ、その怨念が壁を塗り替えても塗り替えても血の色に染まろという伝承が小説化されたもの。口承文学ですね。口承文学は志村有弘先生も研究なさるようですね。
小説 「私の記憶」 作品としてまだ完成されていませんね。推敲が足りないのと構成をしっかり立てて欲しいです。読者に何をどう伝えたいのか、見えてきません。今後の課題としてしっかり書き込んで(最低十回)欲しいです。小説は自由に創作する楽しみがある反面、他人に読んでもらえる姿にするということも作者は考えていなければなりませんね。
小説 「男として」 文章力はすぐれていますが時代背景が説明されていないので、読者は苦労します。これは古代の人間を描いているものと想像で読みましたが、難解ですね。と言うか、イメージとしてしっくりきませんでした。例えば古代の頃に自分のこと「僕」と言ったでしょうか? 文字もない頃だったでしょうから漢字はもちろんまだ使える時代ではなかったでしょうし、仮に言ったとしてもこの場合は「僕」ではなく「ボク」にした方がいいのではなかったですか?もしかしたら三人称で書いた方がリアリティがあったのでは?
確かに面白い捉え方だと思いますし、何か現実を忘れさせてくれて心にほころびが感じられますね。発想として申し分ないのですが、結果としては賛否両論があると思います。あえて火中の栗を拾うつもりで波を立てました(笑)。
男性の方
福岡市西区で発行されている文芸同人誌「絵合せ」第七号が発行されました。後藤克之さん主宰の同人17名の新しい同人誌です。
なお、同誌では同人、購読会員を募集しています。詳しくは発行所までご連絡下さい。
℡・FAX 092-834ー7871 テ819ー0042 福岡市西区壱岐団地140ー9
第七号目次
巻頭言 時には波を立てる・・・・・・後藤克之
随筆 小さな幸せ・・・・・・・・・末次鎮衣
コンニチハ、ノスタルジー・・見良津珠里子
小説 その日の釣り人・・・・・・・波佐間義之
セラミックスの恋・・・・・・川埜邉慎二
あかかべ怨念・・・・・・・・笠置英昭
私の記憶・・・・・・・・・・蓮見夏
男として・・・・・・・・・・後藤克之
その他 同人歴代掲載作品・書評報告
表紙絵(前野まつり)
定価500円(税込)+送料200円
今号も充実した内容となっています。
女性の方(一部抜粋)
「絵合せ」6号拝受しました。いつも真っ先に巻頭言を読んで、いろいろ考えています。後藤さんの紹介する掌編がどんな作品かを知りたくなります。今、芥川の「文章」と中勘助の「銀の匙」を読んでいます。読んでから再び巻頭言を見て、なるほどと思って感心しています。「絵合せ」の他の小説も全部読みました。それぞれに力作というか、作者の精一杯の想いが籠っているのを感じます。みんな、発表して思いを広く、世間に伝えたいのですよね、沢山の読者に出会って、(できれば文化欄で)評価されることを願うばかりです。
女性の方
第6号拝受いたしました。同封の書評報告を読んで嬉しくなりました。ご多忙なのに、創刊されてよかったと思いました。西日本記事もありがとうございました。でも、これからは、後藤さんの時代ですよ。感想を書きます。『水たまり』後藤さんは、雨をうまく作品に取り入れておられます。『雨の分かれ道』もそうだったけれど。だんごむしに、自分自身を投影させている少年、書道教室でのいじめが過酷になれば、どうなるのか。何度も水たまりに、だんごむしを落としてみるシーンが切ない。父親は、何も語らない少年の心境をわかっていたのでしょう。ラストの情景でそう思いました。『ままのたね』以前同人誌に掲載されたので読みましたが、叔母である目の不自由な老夫婦の生きざまに、精神を病んでいる妻と暮らす俺が逆に励まされ、またひと頑張りしようと決心する。俺が妻と出会った精神病院で、頼りにされるようになって、だんだん責任を感じるようになる。薬の効果ではなく、出会いで快復したのではと思う作品。『「どん底」という名のbar』タイトルにひかれて読みました。昭和四十年代の終わりの頃、船乗り相手のバーが舞台。船団での仕事が詳しく描かれていました。驚くことばかりでした。それに宿舎の暮らし、人間関係、生きていくための葛藤を誤魔化すために、酒におぼれる、ギヤンブルに走るのでしょうか。『続・小説の基本は短編である』後藤さんは読書家。作品の批評にも、感心しています。ご多忙の中、とても頑張っておられます。微力ですが応援しています。
女性の方
先ほど6号が届き、さっそく拝読。巻頭言と『水たまり』を読ませていただきました。『水たまり』いいですね。ベランダ下の陰と水たまり、少年とダンゴムシ、少年の心象を痛いように感じます。その描写が核になって、その外周に習字教室での出来事、さらにその外周に父親とのこと。父親の存在がこの物語全体を包みこんでいて大きな広がりを感じます。前作とはまったく文章の印象が異なり、読んでピシッと背筋が伸びる短篇です。いくつか難点を上げさせてください。ことばです。「自尊心」「羞恥心」「一定のリズム」「カーテンの糸」「先入観」「透明に潤って」「カフェオレ色に染まって」「凝集」「純化された」「感情の読み取れない視線」「一致」などの語句が気になりました。「凝集」はたぶん「凝視」の誤りでは? また、「カーテンの糸」は意味不明です。正岡子規は写生を重んじ、モノの微細な構造に目を向けて描写しました。『仰臥漫録』『病床六尺』『墨汁一滴』などは描写が際立っています。しかし、勘違いしてはいけないと思いますが、なんでもかんでも細かい描写がよいわけではないですよね。描写が過ぎると「ことばの上塗り」がおきてシツコイ印象を受けますから効果半減。例えば、「水たまり」の場合も不要な描写のことばがあるのではないか。場面の飛躍、ことばの飛躍、素っ気なさなども物語にリズム感を与えますから、短篇では効果的な感じがします。そのへんのバランスが大切なのではないでしょうか。
男性の方
福岡市西区で発行されている文芸同人誌「絵合せ」第6号が発売されました。順調ですね。益々充実してきましたね。発芽した植物の本葉がにょきにょきと勢いよく伸び出て来た感じがします。
巻頭言「続・小説の基本は短編である」 後藤克之
随筆 「なかにし礼さん追悼」 桂 一雄
小説 「『どん底』という名のbar」 野沢薫子
「ままのたね」 岬龍子
「遠い記憶」 川崎彰
「挽歌ー長宗我部元親その妻蘭 笠置英昭
「水たまり」 後藤克之
巻頭言・後藤敦之さん「続・小説の基本は短編である」はその通りですね。いくつか日本文学の例を上げて述べられていすが、小生は外国文学にも優れた短編作品があるように思っています。例えばo・ヘンリーの「二十年後に」とかモームの「レッド」、フォクナーの「エミリーのバラ」、ヘミングウェイの「殺屋」とかベネットの「雨傘」、モウパッサンの「真珠の首飾り」とか・・・特にアメリカの文学にはすぐれた短編が多いように思います(記憶に間違いがあったらごめんんさい)。日本の文学とは質も違いますけど、面白さでは外国の文学の方が上でしょう(独り言です)。誤解を恐れずに言えば私小説と客観小説(芸術)の違いでしょうか?その辺まで書き進めていただけたら、と希望と期待を込めて次号を待つことにします。頑張って下さい。小説では「『どん底』という名のー」が面白かったですね。
お求めは発行所 でんわ・FAX 092-834-7871 メール gotokatsu24@gmail.com 定価500円+送料200円
女性の方(一部抜粋)
「がらくた」本人にとっては、大切なタイムマシーンなんだから、家族から「捨てろ」と言われると腹が立つ。我が家でも、めったにない?夫婦喧嘩の原因はこれです。自分の物は捨てられず相手の物は捨ててすっきりしたいのです。キャッチボール相手のおじさんの事では、父親に気を使い避けるようになり、応援に来ている父親とは視線を合わせなかった。代走だからグローブはベンチで寂しそうだと、多感な少年の心情が書かれていました。今と過去をつなぐグローブだけど、少年と同じように胡坐に頭をすり寄せてくる子供は、どんなタイムマシーンと出会うのだろうと思いました。「憂国の烈士」秋月の乱、まさに烈士たちの決起から切腹までの5日間でした。しかし、作品が長いとの印象はなぜだろうと考えました。時代小説であり、私が読めない漢字が多かった。画数を数えて調べていましたが、結局、昔人間の夫に聞きました。決起失敗後は自刃、悲惨ですが命をかけていた証明です。言い訳ばかりの現代の政治屋とは雲泥の差です。書き慣れた時代小説家のようですが、前半に情景描写が少なかった印象を受けました。田原坂、原城址、その他の城跡、観光地ですが、地面の下からは悲惨な戦いの声が聞こえるようで、現地に出向くと悲しくなってしまいます。「水位」悲しい作品です。自殺目前なのかな。涙壺があふれても、解決できるはずはないのです。「蛍の友」この感想は波佐間さんにメールしました。正実と学級委員の加寿子の対比がおもしろかったです。母親が交際を禁止した友達と遊ぶのが、一番楽しい年代なんです。「絵合せ」の将来、波佐間さんが書いておられるように、大きな渦になりますように。
女性の方(一部抜粋)
五号の巻頭言と「がらくた」を拝読しました。そして、短編小説を書くことについて色々と考えを巡らせ、次のように申しあげることにしました。「がらくた」は、作者が捨てられない思い出のモノを主人公にして、それにまつわる人間達の日常を淡々と語った作品です。「平凡な日常生活とその中で暮らす人間の平凡な心象」を描きたいという作者の意図を好ましいと認めた上で、何回かこの作品を繰り返し読むと、「ことば」の貧弱さが印象として残ります。平凡な出来事、モノ、人間を描くには、よく吟味されたことばを使うことがとても大切だということをあらためて感じるのです。よく吟味されたことばでなければ、繰り返しの読書に耐えられない作品になるでしょう。どのことばが貧弱かはあえて言いませんが、何か所かそういうところがあります。「貧弱」という意味は、ことばの持つイメージの奥行や拡がりがない、痩せ細ったたことばとでもいいましょうか。平凡な日常を語り切る、と言った方がいいかもしれませんが、平凡を語るには平凡なことばではすまない、のではないか。そんな読後感がありました。事件や特殊な状況の短篇はわかりませんが、平凡な人間やその生活を描く
短篇の難しさをあらためて感じた次第です。最近は小説の「ことば」に注意を向けています。小説家の使うことばに関心をもっています。
そんな興味の中で、「がらくた」という小説を読みました。どうかお気を悪くされませんように、小説の読み方は様々でしょうから。
女性の方(一部抜粋)
毎号、読み応えあります。波佐間さん、さすが! いい掌編でしたね。これぞ短編(掌編)のお手本、心に染み入るコツを十分知り尽くして描いている、そこまで透視しました。実は、ここに描かれている「実家」を私は糸島へ行った時、案内してもらったのです。波佐間さんの「故郷」というエッセイにいたく感動して、是非見てみたいと思っていました。ふるさとは誰にとっても永遠のテーマになりますね。後藤さんの「がらくた」の内容と同じです。ふるさと=育った場所=両親や兄弟との思い出です。「がらくた」の良かったところは、グローブは今と過去をつなぐ貴重な役割を演じている。~父親が俺を思い出せよ、とこうやってたまにいたずらをしているのかも。ここ最高!その後につづく「これはこれで私の代で区切りをつけるべきだ、と考え直したり。」ここは、落としどころの重要な箇所です。ここに作者の主題への姿勢が表れます。この場合、私も作者と同じ考えです。で、欲をいえば、考え直したり、の「り」は外して「考え直した」ではいけませんか?私も偉そうなことはいえないのですが、「り」があるとあいまいになります、作者としては結論は出さない方がいいという主旨なら、そのままでいいかも。「セラビィ」、女性の自立の見本のような行動力が素敵です。捨てた男に執着することなく、当面の辛さを乗り越えてさっさと切り替えて自分の人生を大切に生きていく姿に共感、拍手を送りたいです。
男性の方
福岡市西区で発行されている文芸同人誌「絵合せ」が創刊満2年、順調に発行されています。小さな渦が少しずつ大きな渦に成長し続けている予感がします。巻頭言の「小説の基本は短編である」(後藤克之)は正論ですね。小生も短編が好きです。小説の醍醐味は短編にあり、なんて思っています。そうですね、個人的には50枚か60枚、長くても80枚以内ですかね。もちろん掌編も含まれます。キリリと引き締まった密度の濃い小説、いいですねえ・・・。詩「水位」(岬龍子)、この人の作品には情感があふれています。涙壺から迸り出るような情感に感動を誘われます。まさに言葉のツボを押さえた芸術品だと思います。随筆「命見つめてー高知上映会の旅」(桂一雄)は高次脳機能障害の方々にスポットをあてた映画の上映に際しての参加記と言っていいのかな、そういう運動に携わっていられるのでしょう、克明に記録されていて心を揺さぶられます。文体も理路整然としています。小説は掌編「蛍の友」(波佐間義之)、明治九年の新政府に対する不満に立ち上がる秋月藩の宮崎車之助を描いた骨太い歴史小説「憂国の烈士」(笠置英昭)、親子の絆を情念的に描く「やっちゃん、歌おうよ」(見良津珠里子)、サラリーマンを辞めて商店街で喫茶店を営む雨音の日常を軽いタッチで描いた「セラビィ」(蓮実夏)、永井龍男の「胡桃割り」の導入部を意識的に取り入れて描いた好編「がらくた」(後藤克之)の五編はそれぞれの持ち味が出ていて読んで楽しかったです。次号も楽しみにしています。 お求めは→092-834-7871 編集発行人 後藤克之 また同人、年間購読会員を募集していますのでご気軽にご連絡下さい。メール gotokatsu24@gmail.com 定価 500円 送料 200円
女性の方
1 月31日に拝受いたしました。ありがとうございました。ご活躍嬉しく思います。お仕事の合間に執筆され、年三回の出版とはやはり才能かなと、年に一作品がやっとの私は考えています。さて、『雨の分かれ道』読みたくなるタイトルです。三叉路というあいまいさが昔から好きだ~ぼくの性格、しかし、真面目で世界一親孝行。1と 5の表現が特に印象深いです。愛宕山に登る二人、青春している感じです。現実に周囲の夫婦を見てみると、やさしくおとなしい夫には、気が強い妻が多いです。静江もお母さんのようになりそうな雰囲気です。告白した年上の咲子、この人もぼくを支配しそうです。佐賀出身の外園がいいですね。恋愛の達人のような語り、物を食べるとき入念に噛む。きっとこの人は、質実剛健な家庭の出身ではと思わせました。雨の天神の風景描写がいいでね。都会の描写は難しいです。人を書きすぎても、ビルを書きすぎても、主人公が弱くなりますから。いろんな資料も同封されており、こんなに勉強されているんだと感心しました。四か月って早いです。あら、もう『絵合せ』が届いたと、のんびりしてはいられないと、毎回刺激を受けています。ありがとうございました。
女性の方(一部抜粋)
昨日、4号を拝受、さっそく読ませていただきました。散文のみの第一印象ですが感じたことを書かせていただきます。どの作品も「ノスタルジー」に溢れており、描写は具体的でもリアリティーに欠けている感があります。『雨の分かれ道』:真面目な男子の典型的な青春の淡い思い出話。どの男性にも多少なりとも起きるであろう二人の女性の間を彷徨う青春の日々、少し胸の痛む体験を描いている。幼虫が蛹になって成虫になる。それは分かれ道というよりは一直線ということでしょう。登場した二人の女性の人物像もステレオタイプで物足りない。少年の育つ環境があまりにも長閑で、大人のファンタジー。最後段のいくつかのまとめ(人生訓)のような文章は不要ではないか。もっとすっきり終わったほうが、小説としては全体が締まる。
男性の方
4号の小説「霧の彼方へ消えたひと」(波佐間義之)は、元九州文学同人「橘肖」さんが、入会から退会までの顛末を描いている。親が娘をいたわるような筆致である。さらに深みがあり温かみのある小説である。なによりも表現力、洞察力等が素晴らしい。読ませる小説でもある。わたしがこの域に達するまでには、気の遠くなる時間をようするに違いない(笑)。この時の合評会にわたしも出席しているが、橘肖さんのことはおぼろながらに覚えている。今回の小説でこのような経緯があったことを初めてしりました。ありがとうございます。かの作家・開高健氏は誰のことばか、女と食べものが書けたら小説は成功するとなっていて、それは三大原則のひとつと思われるから、日頃から練習しておかなけばと、エッセイに書いている。またネコをよく観察していたら女がかけるという痛切な教えが、昔からあると記している。波佐間氏は、日頃から女性の所作や女心を観察した秘密のノートがあると推察しますが………?
読書人様(一部抜粋)
「絵合せ」第4号が順調に発行されましたね。おめでとうございます、とまず言わせて下さい。4号出たのなら「絵合せ」は続きそう。内容勝負で他の誌と対峙してもらいたいですね。同人誌は作品が勝負の世界です。同人誌に深く携わっている人なら頷いてくれるでしょう。
「巻頭言」(後藤克之)「絵の具の塗り具合」そうですね。文学と絵を描くことは似ていますよね。小生は絵を「うまく描く」ことはできませんが「下手に描く」ことは好きです(笑)。観ることも好きです。4号の作品にも、淡彩画、水彩画、抽象画、油絵に例えられる作品もありますね。4号の随筆「サヨナラ、ノスタルジー」(見良津珠里子)は文章が澄み切った川の流れのようにさわやかですね。深刻なことを書いているのにさわやかになれるのはよく鍛錬された文章力でしょうね。もしかしたらこの作品は長編詩とも思えます。そのリズムがさわやかさを感じさせるのでしょうか? ノスタルジーというのは郷愁という意味に取ってよろしいのでしょうか。人生を達観しているようなところにこの作者の心の奥行きを感じます。文中にあるように作者が小説を目指すのであればもっと濁ってもいいですよね。もっと生々しい苦しさを主人公に与えていいですよね。やはり「サヨナラ、ノスタルジー」は抒情詩と言ってもいいんじゃないですか。最後の「・・・こころのなかの、赤鬼さんと青鬼さんがでてくるよ」と言って切り上げたところは読者に余韻を含ませていて、いい終わり方だと思います。「超自我長編詩」と申し上げておきましょうか?「赤い傘」(桂一雄)は一読したら単調な作品のように思えますが、この作品は行間を読むことが要求されますね。外国の小説を移入したような感じもしますが、小生は読みながら島尾敏雄の「ちっぽけなアヴァンチュール」(だったかな?)を思い出しました。これは戦後の「新日本文学」に発表されて文学的にも社会的にも大問題になった作品でしたね。それまで前衛を標榜していた当時の「新日本文学」が崩壊し、二つに分かれたという経緯がありました。ストリーも平凡だったし、機知に富んだところがある訳でもないし、通俗的な作品、に思えました。ここで行間を読むことの大切さを小生は学んだことでした。この「赤い傘」もそうですね。男が飲み屋(スナック「都」)にやって来て、帰る頃に雨が降り出し、傘を持たない男が「そんなものはいい」という彼に飲み屋の女は男をタクシー乗り場まで送って行く、ただそれだけのこと・・・のように思いますがどっこい、その途中の会話のなかで男が女に「かわいいなぁ」と言い、女は女で「うちも一緒に乗って丸尾(男の住処)まで行こうかな」という。がそのどちらもに「酔っていない時に言って」という言葉が入る訳。つまり、酔った時の言葉はお互いに虚構、もしくは非現実の世界であり、現実の世界ではないぞということを自覚させられる隠されたストーリー。俗にいう「酔ったうえでのできごと」が日常を狂わせることに繋がってゆくことの忠告だろうか。人間は男女を問わず心のあり様によっては時としてそういう言葉に惑わされて行動に移すこともありますよね。醒めた目で描かれていて、好篇です。「雨の分かれ道」(後藤克之)はいい作品ですね。「雨の分かれ道はそのまま人生の分かれ道」と重なって内容の濃い読み応えのある作品になっています。「僕」という一人称で全編を押し通していますが、それだけに思い(心理描写)の深い作品となっています。「僕」が会社を退けて家族と待ち合わせの場所に行く途中に降り始めた雨の為に時間の都合もあって郵便局の庇で雨宿りしながら自分の過去を回想するという筋立てでした。「僕」は九州のとある漁師町の田舎育ちで、念願のK大学に入ってからの下宿生活等の日常生活の細部がリアルに描かれています。「許嫁」的存在だった静江、アルバイトで知り合って好きになった咲子、との三角関係等の描き方は鮮やかですね。まるで油絵のようです。優柔不断な「僕」の描き方は作者の才能を感じさせます。ただ「許嫁」という言葉の風習はまだ現在も残っているのでしょうか?少し古臭さを感じずにはいられませんでした。(「僕」と家族はスマホで連絡とり合っている時代設定ですのに)導入部の「僕」が雨宿りする場面は芥川龍之介の「羅生門」の「男」を彷彿させていいですね。さあこれから何が始まるのかとわくわくさせられます。結局「僕」は「砂漠のど真ん中に大切なものを置きざりに」して二人の女を振り切るのですね。そして「ぼくは悪くない。あるがままに、流れるままに進むしかない」と自己嫌悪よりもそうするより他に何があるんだ開き直るように自分を慰めてい、人生で選択できる道は一つしかないかじゃないか、と。いずれにしても読み応えのある作品であることは確かで、時評等で話題になることを願っています。
女性の方
90号同人雑誌評掲載おめでとうございます。こんなに長く批評してもらって、よかった、うれしいです。そして、―この感慨は、ヘーゲルの一節を思い出させるものであるーヘーゲルは知らんけど、そこまで深く読んでもらえるなんて、―無限判断を「匂い」の中で実現してしまったような思考の一気の飛翔があるように思えてならないーもう、ここまでくるとワタチの脳はついていけません。後藤さんも感激しているのではないですか。昔昔の【文学界】の同人雑誌批評とは、比較にならない行数です。ご多忙の中での執筆作が、褒められるのは、才能があるからです。以前、九州文學の同人の中で、後藤さんは書ける人と、思った、ワタチも、ちと嬉しいのです。十年後後藤さんは、どんな書き手になっているだろうか、それを見届けらるかなと、メールで書いておられた方がいらっしゃいました。若い頃に入っていた同人雑誌の主宰者が【努力して、ある程度書けるようにはなるが、そこから、壁を突き破るのは、天分だ】と言っていました。季刊文科、中身が濃いです。読んでついて行けるかなと考えています。年末、受験シーズンとお忙しいことと思いますが、ご健筆をお祈りします。
男性の方
「逸脱」は前作に比べると質が落ちましたね。きちんと書かれてはいるのですが、方向が少し違うように思います。やはり貴兄は「純文学」を目指すべきです。推理小説でも、例えば清張の「黒地の絵」みいたいな人間の本質に迫るような作品ならば大拍手です。作品評は評者によってそれぞれでしょうが、アソビではなく人間の本質に迫る作品で勝負することが重要になってくるのではないでしょうか。
女性の方
わたしは、小説の基本は、文字通り、小説というように、短篇だと思うのです。短編がきちんと書けない作家ってどうなのかと思うのですね。長編を書くにはそのための特別の資質が必要なのではないか。構成力、主人公を狂言回しにした影の主人公の存在など重層的な人物配置、考えただけで気が遠くなるような思考力が要求されると思います。現代の人物・事象を題材にした場合の長編は相当な技巧が要求されるのではないか。岡目八目でそう見ています。構成力、重層的人物描写では欧米の小説が抜きん出ていると思います。がっちりした枠組みと骨組みが作られているし、群像劇が得意ですね。日本の小説は、良くも悪くも行き当たりばったり、川端康成に象徴されるような単純な筋運びが多いように思います。川端は一つの作品を書き終わるのにずいぶん時間をかけたそうですが、結末などあるようでないような感じがします。「山の音」が好きですけれどね。漱石では短篇と「門」ぐらいです。短篇では、「永日小品」の「火鉢」が好きです。また、私は幸田文の文章に惹かれます。とくに、随筆集の「木」です。彼女の端正な「筆跡」に触れると、気分がすっきりします。以前に「季刊文科」に短編特集がありました。井伏鱒二の「へんろう宿」でしたか、それには驚きました。私は、これこそピカイチ、これぞ短篇という強い印象を受けました。短篇が小説家としての素質をよく表しているように思います。そういう読み方をする読者もいると思います。後藤さんはどちらかというと、そういう資質をお持ちなのではないでしょうか。短篇にその良さが発揮されるのではないでしょうか。
女性の方
先日の文学フリマでは思いがけずお目にかかることができて本当に幸いでした。今年一番の嬉しいことかもしれません。絵合せ3号をさっそく拝読させていただきました。後藤さんの作品をこれまで読ませていただいていますが、滑らかな文章運びにはいつも感心しています。分析的に読むと、一つの言葉とその前後の言葉の繋がりや重なりに「無理がない」のですね。その一塊の語群があって、その語群に読者(私)は納得するわけです。そして、そのつぎの語群は少し跳んだ塊になっている。塊の間には適度な隙間や溝があって、その距離は極めて意図的なものに感じます。おそらく、それが後藤克之の「ことば合せ」の真骨頂ではないでしょうか。ことば合せが巧みなのです。『逸脱』にもその良さは生かされています。もちろん物語の中身はいままでとずいぶん違いますけれど、面白く読ませていただきました。『逸脱』の主人公は熟練刑事の下山ですね。彼の謎解きゲームに読者はつき合うことになる。描写が最も乏しく意外な人物が犯人であるというのはミステリーに多く取り入れられる常套手段でしょう。それはそれでよいのですが、死傷した二人の人物の描き方のバランスが気になりました。秋葉はその人物像が詳しく描かれているけれど、佐代子についてはよくわからない。日常的な事件があくまでも刑事の視点で描かれている、そう理解しました。こんなことを書くのはおこがましいのですが、開高健があるエッセイで、「食べ物と女を描くのが一番難しい」といっています。多面体の存在で、奥も深いということでしょう。女性を登場させる物語を描くにはそれなりの覚悟がいると思います。
女性の方
一昨日のメールを送信した後に、やはり書くべきかなと考えていました。色々な作風にチャレンジしておられるのは感心します。しかし、「逸脱」より、「モッテコーイ」「あの夏の匂い」のような純文学が、後藤さんにはあっています。「逸脱」はやっと犯人にたどり着いた刑事と同様に、作者もやっと脱稿してあんな終わり方になってしまったと感じました。ここからは、重箱の隅つつき(ごめんあそばせ)、77pの6行めからの、秋葉の視点での説明は必要かな?90歳の寂しさを紛らす出費としても高いのでは。刑事の緻密な描写をカツトしてでも、犯人の心中を書いたほうが読者はわかりやすかったのではないのかな。毎回のヒットはなくても、続けることだとよくアドバイスを受けます。
女性の方
第3号拝受ありがとうございました。「逸脱」の感想です。えっ、後藤さん、清張ふうの作品も書かれる❢年の瀬の商店街の路地裏で90歳の老女が死亡して、路上で中年男性が倒れていた。その事件を捜査するのが、熟練刑事下山。彼も一人暮らしで孤独である。だいたい事件を追う刑事は、家庭的に恵まれず死別か離婚で一人暮らし。たっぷりと臭います、清張ふう。一回読み終えて、なぜか納得がいかない。それで、数日後は西新や姪浜の雰囲気を、特に注意して読んでみました。なるほど、下山刑事の疑問点や図、地下鉄の時刻、解決と未解決の書き出し助かります。読者も頭の整理とストリーが再確認できますから。これがないと、メモを取りながら読まなくてはなりませんから。若い岡崎と下山の綿密な捜査、出口あての返送された年賀状、地下鉄の逆路線、一件、一件潰していくストリーは面白かった。ですが、最後が少し不満です。犯人の描写が少ないので、読後感が軽くなった印象です。犯人の言い分も聞いてみたかったです。しかし、それは作者の意図だったのかな?ご多忙の中作品を発表される生活は尊敬します。後藤さんや波佐間さんの作品を読むと、ボーとせずに頑張らなくてはと思います。しかし、エンジンがかかるまでが問題です。「タスキ」は面白かったです。逆走からスタートとは、さすがです。健の走りは臨場感たっぷりで、荒い息が聞こえてきそうでした。3か月って早いですねー。こんどは2月に発行ですね。とにかく、ご健筆をお祈り致します。
女性の方
「逸脱」114枚、凄い。私は60枚以上まだ書いたことがありません。新人賞に応募したんですね。きっと近年に成果が報われる時が来るのではないかと思います。私も片っ端から読みます。気になる本は内容をすぐに知りたくなります。読みたくて読むのですが、やっぱりそれは「書くため」に直結しているんだと思います。ところで、「逸脱」についてですが、あれから勝手に考えていました。こんな想像をしました。➀各人物がそれぞれに少しずつ人生に逸脱(ズレる)しながら生きている。②刑事二人が追いかけていた犯人は 想像の範囲から逸脱していた。犯人を確信した瞬間「あいつだ」と叫んだきりすぐには言わない。誰?というのを読者に委ねているところなどでそう感じました。(あとできちんとフォローしてありますが)ラストにたどり着いたとき、ドーパミンがどばーっと出て、あの充実感を味わった者はもうにげられませんよね。お互いいけるところまでふんばっていきましょう。
女性の方
3号、内容も充実してコンスタンスに発行されていますね。まず巻頭言、毎号楽しみに読んでいます。ここは主宰者の文学への姿勢が表れますのでとても興味を持って拝見しています。「きりとりと再現力」、ごもっとも、と共感します。「彼岸過迄」を読もうと思っています。そのうえで、またいろいろお話がでてくると思います。ちなみに私の手法は前者です。考えるのに半年、資料集め、取材、と一年かかってしまうこともあります。大雑把な起承転結がみえてこないと一行も書けないのです。「逸脱」いい小説でした。面白く、ドキドキしながら読み始めるとすぐに引き込まれていきました。しっかり社会派作家の域ですね。清張ばりの、ちょっとした錯覚、常識を逆手にとったトリック。あちこちに伏せんを張ってあり、あとできっちり落とし前をつけてあります。小説としての成りゆきを計算尽くしであると思いました。刑事(デカ)の組み合わせもベテランと若手の人情派でバランスよく流れていきます。登場人物のキャラクターがそれぞれ、どの人もそれなりの人間味をもって描かれていて、イメージが浮かびやすかったです。田山佐代子は90歳という設定ですが、身ぎれいにしていれば(そのうえ多少の持ち金があれば)恋も可能というのはこんにちの問題として「あり」と思います。炬燵とみかんとテレビ、、、。一人暮らしの高齢者ならば確かに! と膝を打ちました。リアルで説得力、大です。(一応、刑事の言葉になっていますが、操っているのは作者です)それと、見えるところは奇麗にしているが、人に見せなくていいところはそうでもない、これも身につまされました、その通り! です。女性は年を取ってくると、おさんどんも掃除も飽き飽きで、無罪放免してもらいたいのです。それでも、長年の習性で動線の部分はきれいにしておきたい。そこらの生活臭がとてもよく描かれていて関心しました。年賀状から足がついて一気に動きがでてくる、そのシチュエーションも面白く、自然でよかった。舞台が福岡で西新とか姪浜、天神とか七隈線、馴染深い所なのも九州圏内の読者なら親近感がわくとおもいます。駅と駅の中間、にトリックが。労災認定の問題もからめて、秋葉の過去があばかれていく。(ここはよくある話ですが、不倫ではないのが救いでした)ところで、タイトルの逸脱というのがよくわかりませんでした。何となく、は感じるのですが。どこかで読み落としたかな、と後返えってみましたが??誰にとって逸脱なのか。それから犯人の動機は何だったのか。単なる痴話喧嘩の果てにカットとなってとか?最後に一番心に残った場面をお伝えして感想をおわります。「身寄りが誰一人いないほど空しいことはない。こうやってこの世から古い家族は消えていくのだ」人間の終末、しみじみとした感傷にひたり 余韻が残りました。
読書人様
「絵合せ」第3号が発行されました。純粋(まじめ)な文芸同人誌って感じですね。小説は「新しいスニーカー」(蓮実夏)、「花の精霊たちの荘厳」(見良津珠里子)、「逸脱」(後藤克之)、「タスキ」(波佐間義之)の4作です。「逸脱」が推理小説仕立てで面白かったです。
読書人様(一部抜粋)
「季刊文科」89号(秋季号)が発売になりました。今号では後藤克之さんの「あの夏の匂い」(絵合せ2号)が同人雑誌推薦作として転載されています。彼の文章はオーソドックスですね。文章に落ち着きがあります。内容もいいね。人によっては「古い」とか「堅い」とか感じるかもしてないけど、これが本流なんですね。今のが軽すぎるのです。文学を取り戻すには文章(表現)を本流に戻すことが必要だと思います。そういう意味では「季刊文科」は言うところの純文学ですね。商業雑誌とは違った文学の香とか味があります。この他には藤沢周の「唐糸」、岩下壽之の「薔薇と少女」、波佐間義之の超短編「柿」が掲載されています。
「風来坊掲示板」読書会様
「絵合せ」第2号が発行(6月1日)されました。同志は2月、6月、10月の年3回発行だそうです。主宰は後藤克之さんで、彼は九大文学部卒、第七期「九州文学」で編集同人をなさっていたこともありまして、真摯な方です。事情があって「九州文学」を途中退会されて、再び自力で誌を立ち上げたのが「絵合せ」です。「絵合せ」は彼が私淑する同大学卒の作家・庄野潤三さんの作品から命名したものです。今号の小説では見良津珠里子さんの「独白・無伴奏」と後藤克之さんの「あの夏の匂い」「彼の徒労」が掲載されています。「独白・無伴奏」「あの夏の匂い」はともに純文学の力作ですね。同人誌のレベルをクリアした優れた作品で、各時評でも評判になるでしょう。一方は感覚的な、他方は理知的な文章、いいですね。偏った言い方になるかも知れませんが、小説は文章力(表現力)ですよね。誰かが向田邦子を例に出して書いていたことを思い出しますが、「ダイコンの尻尾からでも料理の作れる作家」だったのですね。同人雑誌作家はそこまで修業する必要はないでしょうけど、文章で読ませる書き手になりたいですね。これは小生の独り言と思っていただいても構いません。また、上記二作の作品とも直接関係あるものでもありませんのでその辺、ご理解ください。「絵合せ」では同人、購読会員を募集しています。同人に対しては特に規定はありません(同人費も現在のところ無料)が、掲載費は400字原稿用紙一枚につき100円となっているそうです。購読会員は年間(3冊)送料込みで2,000円。本誌の定価は一冊500円+送料200円。お問い合わせは直接下記へ電話、またはメールなさって下さい。電話;092-834-7871メール;gotokatsu24@gmaij.com
女性の方
梅雨入りしました。アジサイが美しい季節になりました。6日に【絵合せ】第2号届きました。お忙しい中にありがとうございました。早いです、もう4か月も過ぎたなんて、お仕事の合間によく頑張っておられるなと思います。【独白、無伴奏】見良津さん独特の世界です。彼女の詩、愛せなかった故郷がある~、惟子はそこにあるすべて両親も愛せなかった。タイトルの無伴奏からも匂ってきます。近い人との確執は彼女の作品によくあるテーマのようですが、それが許容できないから、書き続けるのかもしれません。面白かったです。【あの夏の匂い】九州文學2014夏号で拝読しました。登場人物が多すぎるとは、合評会での意見として書いていました。今回読み始めて、やはり家系図がいるなと、読み始めましたが、従兄弟たちを一括りにしてストリーを追い掛けると、そう気にはなりませんでした。最後のあたりで、ニャンコ婆ちゃんだけの葬式でよかったのでは、と思いましたが、いやいや、30歳で奥手の青年の心理を表現するには、列車の中の彼女は必要だったと、反省しました。ニャンコ婆ちゃんの家の描写、―赤ん坊の泣き声の音がする玄関の引き戸― ―壁の板が水滴で湿っている。家が主の死を悼んで泣いているー これだけでも、ニャンコ婆ちゃんの一生が浮き上がってきます。後藤さんは、【モッテコーイ】でも感じましたが、お祭りや屋台での人の集まりの描写が上手いですね。私は大勢の人間のシーンを書く時は難しいです。誰を中心に、動きはと考えるとだらだらと書いてしまいます。2014年に読んだ時と読後感が違いました。今回は、幼い従兄弟たちと一時期を過ごしたニャンコ婆ちゃんとその家がなくなり、中年になった彼らが新しい人生に踏み込んで行くのだろうと思いました。伯父たちのように、傷つき挫折しても生きて行かなければなりませんから。【季刊文科】88号に掌編小説「がらくた」が掲載されたそうですね。おめでとうございます。それに「モッテコーイ」の描写も取り上げられたとか。「がらくた」は絵合せに掲載してくださいませんか、楽しみにしていますので。
女性の方
『がらくた』いいですね。むかし観た映画『フィールズ・オブ・ドリ―ムズ』を思い起こしました。寺田寅彦によれば、文学は実験と通じるところがある、あるいは文学は実験だ、ともいっています。作業仮説をたてて、書いてみて、完成形として仕上げる。実験もそうですが、始める前に完成形はイメージできている。かなり具体的なイメージを描いて、実験は始めます。やってみなければわからない、というのはウソです。若い時、実験研究の恩師からよくいわれたことがあります。枝葉の派生する研究が面白いし、そちらに気が散る。でも、枝葉を保留して幹を太くするのが大切。枝葉は誰かが太くしたり、葉を茂らしたり、切り取って挿し木にすることもできるとも。自分にとっての「幹」が何か。あるファッションデザイナーがかつて言っていました。服装というのは、何か一つ足りないという印象を人に与えるのがよい服装と言っていました。デザイン、アクセサリー、小物などですね。何か足りない。見た人が一つだけつけ加えたくなるような状態がベストということです。言葉による表現、描写にもこれは通じると思います。この一言を削れば、この一文を削れば、かえって膨らむ、行間ができる。そんな感じです。足し算でなく、引き算。何が足りないかを自覚しながら、敢て書き込まない、特に形容詞や形容詞句。 『モッテコーイ』『がらくた』『あの夏の匂い』なども、引き算をすると作品にもっと膨らみや余白ができて、読者が惹き込まれるすき間が発生し、シンプルなのにゆったりした感触が生まれる、と思います。
女性の方
『絵合せ』をお送りいただきありがとうございました。さっそく1号の『モッテコーイ』を拝読しました。長崎くんちの太鼓山を中心にした人間模様を描き、祭りのダイナミックスとそのエネルギーを吸い込んで生きようとする主人公のひたむきな姿が清々しく描かれています。地域発のテーマ小説として、作品の完成度は高いのではないでしょうか。『季刊文科』の会員になられて、そこでの転載を希望されてはどうでしょうか。生意気なことを言うようですが、プロ作家はじめ多くの方々にお読みいただけるのではないかと思いました。2号の『あの夏の匂い』も、これから読ませていただきます。私は小説を書かずに、もっぱら読むばかりです。ただ、色々な小説を読んでいると、言葉の過剰、不足など、使用される言葉の完成度が低い文章が多いように感じます。どちらかというと「とっちらかった感じ」、「過剰」の方を感じます。物語のストーリーやテーマは小説にとって重要なのかもしれませんが、印象に残る作品はどれも、「印象的なことば」、言い換えると「的確なことば」と、それを含めた短い文からなる文体への共鳴、共感、共振でしょう。そのあたりがギクシャクしていると小骨が頬の粘膜にチクチクさわるような違和感を感じて、読みにくくなります。日常の些末な出来事や心象を描くには、それらの襞の中をそっと覗いて描くようなことばを選ぶことが、文章の厚み、作品の厚みにとって大切なことに思えますし、面白さにも通じます。小説の読み方、感じ方は本当に自由だと思いますので、作品の良しあしの評価は人それぞれでしょうから、これはひとつの意見に過ぎませんけれど。
女性の方
絵合せ・2号 ありがとうございます。じっくり読みました。文學への真摯な向き方に こころ動かされています。巻頭言の情景描写と会話のバランスは古くからいろんな作家が言っているのを読んだことがあります。こうして具体的に表記してあるとわかりやすいです。「詩」は 私はあまりつくらないし、今回の二編を鑑賞して、ああ、詩とはこういうふうにつくるといいんだ、とストンと入ってきました。ただの言葉遊びではなく、「ある何か」を訴える、力がありました。「あの夏の匂い」は何枚でしょうか、とても読み応えがありました。ひたすら「匂い」の描写に集中、苦心のあとがうかがえます。実は私も匂いをテーマにかいてみたい計画があるにはありますが「やられた!」と正直思いました。心理描写がとても細やかに描いてあって感心します。それと聡青年のいまどき珍しいほどの女性への羞恥心が初々しくも、好感のもてる人物として描かれていますね。ぶれない所がいいと思いました。父と母の性格も微笑ましくて、特に父、煙草の部分は良かった。ラストの蜜柑の場面に覚えがあるのですが、どこかに発表されましたか?私の勘違いかもしれません。つい、有田駅で乗車して来い! と祈る思いになりました。また梶井基次郎の「檸檬」を彷彿とさせます。誠実に取り組んだすばらしい作品だと感銘、でした。
「風来坊掲示板」風来坊+読書会様
彗星のごとく現れた福岡市の文芸同人誌「絵合せ」さんに期待しています。九州の文芸界に新しい風を吹き込んでください。そして久しく途絶えている九州同人誌からの芥川賞候補の出現を心待ちしております。頑張ってください。応援していま~す!
「風来坊掲示板」読書会様
「季刊文科」88号が発刊されました。「同人雑誌および会員から」では後藤克之さんの「がらくた」が掌編小説のスタイルで野球少年だった頃のグローブにまつわる「少年」の心象風景を描いた「がらくた」を興味深く読みました。後藤さんが主宰する「絵合せ」創刊号の彼の作品「モッテコイ」の勇壮な描写が好意的に取り上げられていましたね(評者:谷村順一先生)。益々期待できそう。
「風来坊掲示板」風来坊様
絵合せの うねり高だか 同人誌 躍動の あふれる陽春 背に受けて
「風来坊掲示板」高等遊民様
「絵合せ」を めくる指は 初恋に似て
女性の方
第1号、面白かったです。私は本を読む際、登場人物がそれぞれ知らない誰かで映像的な感じで出てきます。芸能人とかじゃなく、勝手なイメージで顔とか髪型とかが頭に出てきて、読み進める感じです。後藤さんの小説、しっかり映像化出来ました(私の頭の中で)。逆に言うと、映像化出来ない場合はストーリーはあまり頭に入って来ません。特にモッテコ―イは、登場人物がそれぞれキャラとして出てきて、私に絵心があれば描いて見せられそうです。それぞれのシーンも映像としてイメージできました。その後、YouTube等で実際にお祭りを観たんですが、結構イメージ通りで。後藤さんの描写のすごいところですね。辛いシーンでしたが、お母様が電話ボックスで亡くなった際は想像が出来て涙が出ました。長崎くんちも傘鉾も、実際は詳しく知らない状態で読み、後から映像で調べましたがイメージ通りでした。今は第1号を、主人が読んでいるところです。
男性の方
昭和漂う小説に懐かしさもありアッという間に読み終えました。たいへん読み応えのある内容でした。これからのご活躍をお祈りしつつ次回の作品も楽しみにしております。
女性の方
巻頭挨拶にありますが、「美しい文章への道のりは険しい。そこに、世間を見つめる目、人間を描く力、それらが備わると景色も違ってくるはずだ」人間描写が一番難しいです、特に市井の人が。
男性の方
「絵合せ」すべて読ませていただきました!何だか爽やかな風が吹き抜けています。続編が楽しみですね。
女性の方
家族で読ませてもらいました。結論からいうと、最後まで読み終わったあと清々しい充足感があったよ。詩「つらら」は様子が心に浮かんで、短い詩の良さが出てると思った。小説「ゆかりの消しゴム」は、書き出しから不思議な世界が広がって、でも話の進め方が強引ではなくて、最後は丸く着地しているところがスゴい。一言一言丁寧に言葉を紡いでいるよね。後藤氏の「モッテコーイ」は以前読んだことがあったけど、やっぱりいいね、おくんちの描写にリアリティがあって、ご本人はおくんちに参加したことがあるのかな?夫も学生時代長崎で学んだから、自然な方言の台詞も心地よく、好きな作品だそうです。私は野呂邦暢の芥川授賞作「草のつるぎ」を思い出したよ。青くてガリガリとした青春期を描いたものって、中年期に読むとまた感慨深いものがあるね。「よろこび」も私は好きだったよ夫と話してたけど、最後に茂雄が同僚に三千代と居るところを隠そうとしたところが、単なる恋物語にしてなくてニヤッとしたよ。結末とした切り方も、これから二人はどうなるんだろうと思わせて、後藤氏の個性を感じました。あえて気になったのは「よろこび」というタイトルかなぁ。もっと内容にしっくりくる題名があるような気がしました。以上、思った通りに書いたけど、次号が楽しみです。
女性の方
【絵合せ】第1号発行おめでとうございます。「モッテコーイ」2014年の九州文學で読んだ時は、作者が実際担ぎ手だと思うほどの、臨場感にあふれていました。今回は、人間観察が深いとの印象を受けました。P16の下5行目から「許すとは~ 」15行目。P17の上19行目「殺風景な~中年男に何に惹かれているのだろう」P38の下1行目「麗子さんは~」6行目主人公が、麗子さんを許し始めた気配など、まだたくさんありました。中でも印象的な描写、P32の上8行目ロープウェイと鴎の描写いいですね。「よろこび」二人の視点で書かれていましたね。独身で真面目に働いている、四十代の女性と三十代の男性、日本経済を支えている貴重な人です。しかし、内面は充実感が少なく寂しいのです。バスの事故で会話を交わすようになり、なんと小さなよろこびに包まれた三千代。思い切って、手紙を渡すのが真面目な彼女です。P59の上4行目釣り合わない二つの影が赤い空に揺れていた。くやしいほどの描写でした。最後の同僚とのすれ違いの場面、40代のおばさんは、ちゃんと気づいていますヨン。女性は(麗子さんの場合)32歳でも、中年男の良さもわかるんですよ。枯山水の魅力と言いますかね? それでは【絵合せ】のご発展をお祈り致します。
女性の方
「絵合せ」を手にしたときにホッとしました。手作りの文学熱、志しの匂いがしたからです。高校生のときに文芸部の雑誌「粘土」を思い出しました。「絵合せ」を眼にしたときに、ようやく私は、文章を書くのが好き、小説を書くのが好き!という単純な古巣に帰ることができました。
女性の方
後藤さん、やりましたね。!私もしばらくの間、購読会員として応援していきます。冊子名の由来、庄野潤三をお手本にされてこられた、とか。後藤さんらしい、優しさがうかがえます。大上段から構えるのでなく、市井の人々の姿に寄り添う文学、いいですね。今後の作品が楽しみです。冊子送っていただき、ありがとうございました。表紙のイラストもぬくもりを感じます。出来る限り長寿でありますようにと願っています。
「風来坊掲示板」波佐間義之様
福岡市在住の後藤克之さんが同人誌「絵合せ」を創刊しました。後藤さんは第七期「九州文学」の途中まで在籍されていたのですが、仕事の事情から退会されていました。子供さんも成長されて余裕ができたのでしょうね。おめでたいことです。誌の命名は庄野潤三の作品名からつけられています。まじめなグループです。同人、購読会員の募集もしています。会費は年間2千円、掲載費は400字詰原稿用紙1枚100円。同人費はありません。格安です。私は可能な限り応援して行きたいと思っています。興味のある方は下記にメールして詳細をご確認下さい。gotokatsu24@gmail.com